(1) 琴古流の流名
 琴古流という流名は、流祖である初代黒沢琴古(1710〜1771)の名前に由来しています。
 「琴古流」という流名の初出は、最近の研究で安永2年(1773)には既に名乗っていた事が分かってきました。これによって、おそらく初代琴古の時代から流としての意識があったと思われます。
 よく「琴」という字から、お琴の流派と間違う方がおられますが、黒沢琴古が、何故紛らわしい竹号を称したのかは、よく分かりません。江戸時代には、尺八は普化宗の法器として位置づけされていて、一般の庶民が尺八を吹く事は禁じられていました。しかし、琴古は尺八を楽器として認知していたと推察されますので、お琴との関係(合奏)を意識していたとも考えられます。だが、今のところ想像ですのでこの点は今後の研究課題の1つです。  
(2) 江戸時代の琴古流
 初代琴古は、筑前(福岡県)黒田藩士の出といわれています。若年の時に江戸に出て、尺八の名手であったので普化宗の関東の本山一月寺と鈴法寺の尺八指南役となりました。そして、全国各地の虚無僧寺の伝承曲を収集整理して琴古流本曲として30数曲を定め弟子に伝授しました。
 これらは、2代琴古の書き残した備忘録「琴古手帳」によって知る事ができます。
 又、初代・2代の琴古によって尺八の指導者として奏法の確立、譜面の統一、伝習曲の整理、製管師として楽器の改作が行われ現在迄伝わる琴古流の基礎が確立されました。
 黒沢家は、初代琴古、2代琴古(1747〜1811)、3代琴古(1772〜1816)、4代琴古(?〜1860)と続きましたが、その後は廃業したため、琴古流の宗家はなくなりました。
 その後の琴古流は、実力主義となり、3代琴古の高弟久松風陽(1785〜1871?)が、禅哲学に基づく尺八道を築き、事実上の琴古流宗家となりました。そして、吉田一調(1812〜1881)、荒木古童(1823〜1908)を育成し、その精神と共に琴古流本曲を彼等に伝えました。
(3) 明治以降の琴古流
 明治維新となり、明治4年(1871)普化宗が廃止され、尺八も禁止される事になりました。この時、一調、古童が尺八の楽器としての存続を政府に願い出て、以後尺八は普通の遊芸の楽器としての取り扱いで使用を許可されました。
 古童は、三曲合奏(尺八・琴・三絃)に重点を置き、尺八の普及に努めました。これが、今日の琴古流の時代に即した発展の出発点となりました。
 その後、2代古童門下の上原六四郎による点符式のリズム表記による画期的な楽譜の改良がありました。その点符式楽譜を駆使して外曲譜(三曲合奏の譜)が、竹友社初代川瀬順輔、竹盟社初代山口四郎の努力によってほぼ完成されました。又、本曲譜は、2代古童門下の三浦琴童の著した譜本が現在の琴古流本曲の定本となっています。
 演奏者としては、3代古童門下から人間国宝の初世納富寿童、山口四郎門下から人間国宝山口五郎が出て、その尺八音楽の昇華が、世界の音楽に比肩し得る芸術的評価を得るに至りました。
(4) 現代の琴古流
 琴古流は、尺八の流派の中で文献上証明できる最も古い流派であり、現在明暗系尺八と称する、錦風流(弘前)、西園流(名古屋)、明暗対山派(京都)にもその濫觴では多くの影響を与えています。
 このように古い歴史を持つ琴古流は、幽玄で深遠なる響きと禅哲学を背景とする本曲を堅持すると共に、三曲合奏、近代、現代の新作曲、他系統の古典本曲を取りいれ、更に洋楽とのドッキングなど各方面に新しいチャレンジが試みられています。
 尺八は、日本独特の楽器ではありますが、今では国際的な関心を集めて多くの国の多くの人達が愛好し世界的な広がりを見せつつあります。
(5) 宇宙に響く琴古流
 昭和51(1976)年6月、スイスで国際天文連合会議が開かれました。そこで、世界各国から集まった学者達が、大きなものだけでも135個あるという水星のクレーターに自国の歴史上著名な芸術家の名をつけました。
 バッハ、ベートーベン、ショパン、ホメロス、イブセン、チェホフ、ルノアール、ゴヤ、等々です。 日本から出席した京都大学名誉教授宮本正太郎博士は、13名の日本人を選びました。それは、世阿弥、狩野永徳、二葉亭四迷、鈴木春信、安藤廣重、柿本人麻呂、吉田兼好、紫式部、清少納言、俵屋宗達、紀貫之、運慶、そして、黒沢琴古の13名です。
 黒沢琴古の名は、その中でも最大の180kmもあるクレーターにつけられました。その理由は180kmが尺八(一尺八寸)に通じ、その最古の流派琴古流尺八の流祖という事で選ばれたと思われます。因みに、宮本博士は趣味として尺八を嗜み、琴古作の尺八を所持しているそうです。
 昭和52(1977)年、アメリカが惑星探査機ボイジャー2号を打ち上げました。その機内には「宇宙へのメッセージ」として、地球を代表する名曲が搭載されました。
 その中には、バッハ、ベートーベン等の曲と共に、山口五郎師が演奏する琴古流本曲の「巣鶴鈴慕」が収録されました。ボイジャー2号は、12年後には海王星に最接近した後、太陽系を離れました。そして、現在も遥かなる宇宙を旅し続けているのです。

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